季節の中の子供たち、いつもいきいきと。

冬季の昼弁当 特設の弁当保温室へ当番が教室名の木札を持ってとりに行く、別の子は小使い室から湯を貰い、各自の弁当の蓋に配る。

水遊び 暑い夏の水遊びには手作りの水鉄砲が面白く涼しいので、どの子も好きな遊びだ。水につけたまま連続発射式と水を貯めて移動式とあった。

竹割 冬期の休み時間運動場では女児の人気な遊びで壁際が埋まった。。歌に合わせ演技するが次第に難易度が増す。道具は割竹だけ。

庭のゲレンデ 札幌ビール工場の近くに大きな庭のある邸宅があって、築山は橇滑りやスキーをする子供たちの為に解放されていた。

手旗信号 学校では戦時中教科の中に手旗信号が取り入れられていた。カタカナ文字が基本形なので覚えやすく遠く離れての通信は楽しいものだった。

糸電話 1年生の国語読本にあったので、工作ででも糸電話を作り試してみた。離れていても思いのほかよく聞こえたのでビックリした。

雪ダルマ 真冬でも湿り雪の日は雪ダルマが簡単に作られる。大きいのを作っても、1日もてば」いい方。大抵は誰かに壊されてしまう。

初めての運動会 運動会場は学校から離れた美香保グランドだった。児童も競技用具をかなりの距離を運んだ。大勢の人がの応援でドキドキした。

鮭の遡上 軍国時代の子供はよく必勝祈願に神社参拝に行った。途中にある旭川神楽岡の麓の忠別川にも鮭が遡上していて橋の上からよく見えた。

お正月 お正月の遊びといえばカルタ、すごろく、福笑いが代表格だ。持参するものもいた。私は武井武雄のいろはカルタが大好きだった。

子供は遊びの天才 棒きれ1本でも様々の遊びができた。棒たおし、陣取り、地雷、ちゃんばら、パチンコ。まだ沢山あったよね。

サクラ読本 小学校新入して初めて習った国語教科書は「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」だった。

式典 全員で君が代斉唱、壇上の校長が御真影の扉を開き、教頭が頭上に捧げてきた教育勅語を奉読する。一同頭を下げいた。

ビー玉 ビー玉遊びをしている子供を見なくなって久しい。勝ち取った玉で歩くとギャラギャラした。立って地上の玉に当てたり距離を置いて狙ったり色々。

児童の仕事 教室の掃除をはじめ、校舎の内外の大方を児童が清掃した。

大掃除では窓ガラス拭きも廊下の床も磨いた。教室へ石炭運びも。



4月 新中学生は白線入り帽子、ゲートル、肩掛け鞄姿になる。片道4K,,途中には身欠き鰊の干場があった。

男女共学 高校3年生の時に共学が実施された。初めは互いに無意識を装っていた。

パッチ 雪解け後初めの外遊びがパッチ。地面の水分を含みやすやすとは起こせない。ポケットに詰め込み何時でも勝負する。

桃の節句 お雛様を飾る時は嬉しい。小さい刀を抜いてチャンバラもした。箱にしまうのは面倒でさっと逃げてしまった。

遊技場 丸井さんに行くだけで嬉しかった。玩具売り場と遊技場は子供の天国だった。



雪の城 雪と氷も遊びには大切なもの。城を作って飾り立てたり、雪合戦で壊されたり。

馬橇 スキー山からの帰り道、バチバチ橇の木材橇は魅惑の標的だった。大抵は叱られるのだが。

電車ごっこ 近所の子供たちは一緒に遊んだ。

道路は数多い遊びの場所になった。

学校ごっこ 小学生のお姉さんは時には幼児の先生になることもある。

ケンパ 地面に図形描き技を競うものだが他に石蹴り、渦巻きなど色々ある。



かくれんぼ 隠れるだけから、鬼が目隠し中は動けるもの、缶蹴りなどと広がる。

鞠つき 女の子はマイボールを持ち、沢山の鞠つき歌にあわせて技を競う。

川遊び 夏の川遊びはスリルがあって面白い。川原での炊事も楽しい思い出。

模型飛行機 戦時中の男子小国民の多くは模型飛行機作りに熱中した。ゴム紐動力でもよく飛んだ。

正月遊び ご馳走を食べ、友達や大人も入りカルタやトランプなど楽しみ一杯だ。



チャンバラごっこ 活動(映画)に夢中になった翌日はチャンバラだ。棒切れがあれば誰もが鞍馬天狗や宮本武蔵。