缶馬

私たちの子供の頃は遊びの種類が多種に亘っていた。遊具、玩具は手近にあるものを使い、手作りしたものも多かった。貧しい時代だったが創意工夫が生まれ育った。

二個の同サイズの空き缶の上部に穴を開け、夫々の穴に1本の紐を通し、端は釘で抜けないようにする。裸足で缶の上に乗り、紐を引張りながら歩き回る。慣れると走り回るのだが、カパッ カパッと馬の蹄に似た音を立てる。

缶の代わりに、大振りのホッキ貝で作ることもある。男の子の遊び。

缶けり

「缶けり」はかくれんぼの変形の遊びで、「ケッタ」と言っていた。初めにじゃんけんで鬼を決め、一人が空き缶を蹴る、鬼が缶を元に戻すまでの間に隠れる。鬼に見つけられた子供は囚われるが、鬼が捜してる間に鬼に見つから無いようにして、隠れていた子が缶を「ケッタ」と叫び蹴ると、囚われた子はフリーとなる。全員が見つかるまで続く。全員が捕らえられれば鬼が代わる。

騎馬戦

国民学校(小学校の戦時中の呼称)の体育の時間には、ときどき騎馬戦をして鉢巻取りをした。

春先の頃には上半身裸で雪中騎馬戦をしたのを思い出す。春先とはいえ旭川ではまだ寒かったのではないかと思われる。

遊び時間や放課後にも行った。先頭一人、脇が二人に騎乗者一人だが、騎乗者は小柄の子と決まっていた

釘うち

子供の遊びには季節性がある。釘うちは春、雪が融け地面が乾き始めの頃に人気の出る遊びである。

遊び相手は2・3人、夫々が5寸(15cm)釘を10cmほどの間隔で地面に立て、じゃんけんで順番を決め攻めを開始する。一番手は自分の釘を力いっぱいスナップを利かせて振り下ろして地面に刺し、他者の釘を渦巻状に取り囲む、成るべく隙間を細くして、追従を妨害する。打った釘が倒れるか線を越えた時は次の子に交代する。二番手の子は渦巻きの隙間を旨く過ぎれば同様に相手の進路を邪魔しながら取り囲む。後手ほと難しい。たった釘一本でも真剣に楽しく遊べる遊び。

 

野球

大東亜戦争も中盤になり、学校備え付けの運動用具の内サッカー球が僅かにある程度で、これでドッチボールにも使っていました。野球の用具も無かったと思う。我々は放課後校庭で野球に興じた。グローブが無いので、みな素手で、バットは板、ミットは帯の芯で作った粗末なもの。ボールはテニスボールだった。

このボールは昭南島(戦中のシンガポールの和名)陥落を祝して配給になったような微かな記憶がある。

 

黒んぼ大会

今では死語化した「黒んぼ」、当時の人気漫画の「冒険談吉」に南洋の島の住人として登場し、親密感があった。

子供たちは夏には裸で遊び、海に山にも自分達で出かけた。日光によく当たれば丈夫な体が出来るといわれていた。

夏休み中は特に陽に当たる時間が多いので背中は勿論、腕、鼻の頭、額までもが赤から黒に変色し、皮膚も剥けてしまう。

背中の皮膚は何度も焼け、黒くなる。子供たちは黒い肌を自慢した。学校でも夏休み後学期初めには背中の黒さを比べる「黒んぼ大会」があった。

 

軍艦遊戯

戦争が終盤に達した昭和19年頃(国民学校5・6年生)に遊んだ遊戯。

二軍に分かれ、学生服の上下ボタンの間に色紐を絡げる。色紐の色により、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などを表すのだが、軍艦により優劣が決まっていて、戦艦は潜水艦に負けるなどのルールがある。成るべく自分の色紐は見せないようにしながら、勝てる相手を追うのだが反対に追われる立場にもなる。勝てば紐を取るという、かくれんぼ+鬼ごっこ+カード合わせの複合した遊戯。

同じ頃、軍艦遊戯と似たゲームに陸軍の兵科・兵隊の階級を絵札にしたのがあった。2人がカードを分け、掛け声(何といったか忘れた)とともにカードを見せ合い、勝った者がカードを取るというで、カード合わせゲームである。

 

駒回し・凧揚げ

男の子の遊びの定番といわれるが、駒回し・凧揚げに熱中したという記憶が無い。やや大きめの駒に紐を巻いて回したことも奴凧に新聞紙の尾を貼って凧揚げしたこともあることはある。その頃、流行らなかったのは私の住んでいた所だけのことなのか北海道の現象だったのか。

 

地雷

砂場、海岸などの遊び。甲乙2人が楊枝ほどの棒7~8(石、貝殻など何でもいい)用意する。初めに一辺が50cmほどの正方形になる様に砂、土を少し盛って作り、その中を更に十の字に盛り土をして、田の字型にとする。対角が夫々の陣地で、棒を同数立てておく。後攻乙が目をつぶる間に甲は地雷の棒を土中に1~2本隠す、ただし田型の始まりと終わりの一辺には置くことが出来ない。甲陣地から出た斥候が乙陣地到達し、別ルートで出発点までを往復する。地雷の敷設箇所を避けて戻れれば、棒を1本分捕ることが出来る。敷設箇所を通過すると「ドカーン」と言って棒を1本渡し、乙の攻める番に変わる。獲得した棒の数で勝敗を決める。

 

陣地とり(名前はうろおぼえです)

2人で遊ぶ。路面に1mほどの正方形を描く。後は箸状の小さな棒が1本あればいい。

対角線上の角が夫々の陣地で、じゃんけんで先攻をきめ、陣地から棒を指で地面に置いた棒を弾き、四角の線に架かった処まで線を引き、小さい方が領地となる。次に後攻に代わり、以下同様に続ける。真にシンプルな遊びだが、取ったり取られたり、様変わりする面白さがある。

 

竹馬

北海道では竹は生育しないので、子供たちは竹の代わりに木材で、竹馬を手作りした。(木製でも竹馬といっていた)

支柱となる材2本に、足場にする材を足場と支えとなる材を釘で固定する。持ち手部分を丸く削ると出来上がり。

足場は乗り手の技量により高さが増してゆく。初めは支柱を人に保持してもらって乗る。次には足場に片方の足を乗せ、バランスを取りもう片方を載せ、右・左と手で支柱を浮かせながら前進する。用達者は前進交代も自在で、駆け足もする。

たかが50cmの高といえども優越感が味わえる。泣き所は自作の竹馬は足場の丈夫さに少々難ありというところか。

 

竹とんぼ

手作りの竹製のプロペラを手で回転させて、空中に放ち飛行させ、距離・滞空時間を競う遊び。

竹とんぼは回転させる軸ごと飛ばすタイプと手元の回転軸からプロペラ部分のみを飛ばすタイプがある。軸付き形はプロペラ中心部の穴に軸を接着剤で固定する。分離型は中心部に穴を2個開け、回転軸先端に穴に合う突起を付ける。飛ばす要領は似ているが分離型の方が飛行予測が難しい。

プロペラにする竹は12×2cm、小刀で角度に注意して削る。角を丸め、紙やすりをかけ彩色線を入れる。

着物を掛ける衣文竹を切って作った思い出がある。

そのほかにも竹片の中心部に穴を2個開け、凧糸を通し輪にして回転させる玩具も作った。プロペラを数回廻しておいて、両手で輪が引き戻るタイミングに合わせながらゴムのように引く。回転数を増幅させ、高速回転をさせる遊びだ。身近な物を利用して、作る楽しさと、飛ばす楽しさなど皆でが味わった。

 

チャンバラごっこ

棒切れ1本あれば刀になり、腰に差せば剣士になれる。集まった子供は、最近見た紙芝居や活動写真のヒーローになる。風呂敷か手拭でもあれば衣装にも小道具にもなる。特別な決まりもなく、チャンチャンバラバラと効果音よろしく、矢鱈と切り結ぶ。「お前、もう死んでる」など言われて「わー」と死んだフリ。一息ついて生き返りチャンバラが続く。

戦争ごっこより、派手な動きがあり、阿吽の呼吸で互いに、自由に芝居がかった表現が出来たのが人気の源かもしれない。

活動写真でも、危機一髪の場面でヒーローが駆けつけると、客は声をかけ手をたたいて声援を送った時代である。

 

鉄砲

当時の子供は、棒一本あれば刀にも鉄砲にでもなる。腕白小僧たちは、飛び道具を自分で作り、皆で打ち合いをして遊んだ。水鉄砲と紙鉄砲も愉快だ。

根曲がり竹か古くなった竹箒を切り、鉄砲の筒にした。水鉄砲では節に小穴を開け、竹箸の一方に布をきつく巻きもう一方は取手になる竹の節穴に差し込む。水を張ったバケツか盥から水を吸い込み、力いっぱい押し出す。上手く出来れば、水鉄砲で交戦する。

紙鉄砲は根曲竹で、紙が弾になる。竹筒の先は節なし、押し棒は紙弾が入る余裕を残して抜けないように取手に差し込む。初めに筒の先端に紙弾をつめ、もう一方から紙弾を押し棒の先に置いて勢をつけて押し出す。快音を発しよく飛ぶ。

紙弾の素は水で濡らした新聞紙、口の中で噛みこなして使った。汚い手で無頓着に扱った紙鉄砲も懐かしい。

幼児の頃の紙鉄砲は新聞紙を使った折り紙で、畳んだ三角形の端を持って、勢いをつけて振り下ろす。畳み込んだ部分に空気が入りパーンと音を立てる。調子がよければ2つ弾ける。

 

手旗信号

軍事色が濃い時代だから、子供の遊びも影響されたのだろうが、雑誌記事や年長の子からいろいろ教えられた。手旗信号もその一つだ。国民学校校6年生の頃には、手作りの紅白旗を持って、校庭で何度もイロハニホヘト・・を練習した。まず発信を覚え、なれると受信、相互の交信の練習をした。手旗の交信は遠く離れた友達との間で意思の伝達が可能になるこで、楽しい遊びでもあった。今でも文字のフリは記憶に残っている。

 

日光写真

お祭りの出店とか一銭店で売っていた玩具であるが、子供にとっては写真現像をした気分が味わえるものだ。

この日光写真は、厚紙製でガラス窓のある表側と裏の台紙でできた極シンプルな写真機、モノクロのネガ絵が多数印刷された薄紙のシート、袋に入った黄色っぽい印画紙で一式である。

切り離したネガ絵を上にした印画紙を写真機の枠に挟み日光に3分ほど当てる、日に当てる適当な頃合が掴めないのでドキドキする。印画紙に絵が確りと現れると思わず歓声を上げるのだ。残念ながら、印画紙は直ぐに使いきり無くなってしまう。

 

登る遊び

ガキ坊主たちは高いところに登り、スリルと達成感も一緒に味わっていた。校庭には木製の登り棒が何本もあり、体操の時間でも早さを競い、高いところから見下ろす快感、港の景色も良かった。木登りも時々したが、戦争ごっこ・忍者ごっこで、屋根伝い・塀の上を伝って走り回った。一度屋根から落ち、肩の脱臼で整骨院に掛かった。

 

箱庭作り

低学年の頃、近所のお爺さんの家には鯉がいる池があり、小鳥やかじか蛙も飼っていた。また盆栽・箱庭なども興味深かった。見ているだけで楽しく、何度も行くうち自分でも箱庭を作ってみたくなった。木の箱を作り、土を盛り、木の枝を挿して景色を作る。作ったり崩したりして遊んだ。お爺さんから褒められて暫く箱庭作りが続いた。

 

パッチ

雪が融けて春早々に始まる男の子の遊びにパッチがある。円形のボール紙の玩具で、表には武者絵などが描かれていた。6、8、10、15cm程度の大きさだ。後に長方形のパッチもあった。

3人から5人が夫々10枚くらいのパッチを持ち寄り、地面に置いて順番に打ち下ろし、裏返しにしたり、下に差し込んだり囲の外に出すと相手のパッチは自分のものとなる。中くらいの大きさで隙の無い重いパッチが良く、大きい物は取られることが多い。服の裾で風を起こすのをバフラ、パッチの角に折りをつけ出しを図るのをガンツケと言い、ルール違反とした。

勝負の上手い子がいたが、年下の子には加減することもあった。

 

ビー玉

ビー玉は直径が1.5cm位のものと3cm位のガラス球体で、普通はラムネビンの色、上等は透明の中に色ガラスが入ていた。大きい玉は、当てるときには有利だが当てられやすいので、実践は普通サイズを使うのが多かった。

遊び方「目玉落とし」は目の高さに持ったビー玉を、相手が地面に置いたビー玉を目がけて落下させ、命中したときはその玉は自分のものになる。それたときは交代する。

「ビー玉打ち」は島に各自が置いた玉に、離れた場所から玉目がけて指に挟んだ玉をぶつける。「ビー玉取り」2・3人が皆攻撃者になり、打ち合う、当てたものが玉を取る。取られれば補充しなければならない。10個位ポケットに入れているので、動くたび音をたてていた。打ち方も多様で技と駆け引きがいる。1人勝ちの時は、勝者が威張りながら返すこともあった。

 

吹き矢

祭りには見世物小屋・屋台・出店が立ち並び、晴れ着に着替えた子供たちが、貰った小遣いを懐にして、行きかい品定めをするのだが、吹き矢も売れ筋である。店の兄さんの実演が実に上手で、的に旨く当てる。吹き矢は硬い紙製の差し渡しが1cmよりやや太目で50cmほどの長さの筒で、継ぎ足しが可能である。紙のコーン型の矢を筒の口元の筒内に入れ、狙いをつけて強く息を吹きつけて興じる。思いのほか遠くまで飛ぶが的に旨く当てることは難しい。薄荷パイプを胸にぶらさげて、彩色されている吹き矢筒を持ち歩くと祭りらしく見えた。親からは人の居るほうに向けて吹くなと注意された。

 

棒倒し

砂場などの遊び。数人まで遊ぶことが出来る。まことにたわいの無いシンプルな遊び。

20cmほどの高さの砂山を作り、頂上に棒を1本立てる。順番に裾の方から砂を掻き取り最後に棒を倒した者が負け。

 

足組み

夫々右足を膝で曲げ踝を外側に出し、互いの脹脛に足の甲を乗せて井桁に組む。時計回りに歌を歌いながら回る。呼吸が合わないと足組みが解けるので「??できたら、回そじゃないか、よいやさのよいやさ」と歌を歌って全部歌い終えられるように頑張る。主に女の子の遊び。

 

鱗とり

2~3人で遊ぶ。路面に1.5mほどの円を描き中に1辺が10cmほどのウロコ模様を外周から書き込んで埋める。

等間隔でそれぞれが陣地をもち、順番を決めてから、オハジキを弾き領地を埋めていく。領地が確定した後は、領地を拡大策に移る。まず指が届く距離にオハジキを弾きその地点に親指をあて円を描く。円は自分の領地となり、その領地で囲んだ部分も更に領地となる。有利に展開していても一度に逆転されることも有る。

 

かごめ かごめ

女の子の集団遊びの中の一つ。一人の子が輪の中央で目隠しをしてしゃがみ、周囲を他の子が手を繫いで歌を唄いながら回る。歌の終わったとき、鬼が後ろにいる子の名を当てる。当たれば鬼が入れ替わるが当たらないときは鬼が続く。

歌は「か-ごめ かごめ か-ごのな-かの と-り-は いつ いつ であーる・・・・うしろの しょうめん だーれ」

 

けんぱ

路面に書き石(天然の石、または市販の石筆)か棒で両手で抱えるほどの円を描く。初めは一個次が横並びに二個、その次はが縦に二個、後は適宜の長さに円を続け、最後に休みとなる大きな円を描く。

円が一個のところには片足で(ケンという)、横並びのときは両足が着ける(パーという)。

じゃんけんで順番をきめる。最初は手前の円に石を入れる、石のある円には足を着けない。ケン、パーを繰り返し休みで両足が着ける、そして戻る時に石を持ち帰る。次の円に石を入れ、以下同様に進める。石が入らい、往復する途中で線を踏む、ケンのところで足を着く、などしたときはプレーヤが交代する。前のプレーヤーの石は成功した箇所に留め置くので、後になるほどケンが多くなり難しくなっていく。最後の休みまで石が進むと上がりとなり、片足で外側を一周する。2・3人で遊ぶ。

 

ゴムとび

女の子の遊びで、使うゴム紐は、輪ゴムを繋いで作ったものかパンツに入れる3mくらいのゴム紐だ。

二人がゴムの両端を持ち、初めは低く次第に高く上げて行く。跳び手はスカートをパンツの裾に挿み、ツンツン跳ね準備してから、男跳び、女跳び等で跳ぶ。次第に高くなるとゴムの近くで横に向き、外側の足を思い切り上げてゴムに引っ掛ける。それも出来ない高さになると、ゴムの近くで地面に両手を付いて、逆立ちして足をゴムに引っ掛ける。ゴムとびのルールとして足がゴムに引っ掛かった時は飛び越えたと見なしている。跳び超えられない時は持ち手が交代する。背丈のハンデ調整が必要なときもある。

ゴム跳びで他に、フィリピンのバンブーダンスの様にゴムで囲んだ中で、1人の子が歌にあわせて跳び演技をするのを見た事もあるが詳しくは知らない。

 

縄とび

縄かロープを使う遊具で1人から10人以上でも遊べる。

1人跳びはその場で連続数を競うものの他、2回連続跳び、縄の交差跳び、逆回し跳びなどで連続性を競うのと跳びながら走り、速さを競うものがある。

大勢で遊ぶときは、二人でロープの端を持ち、規則的に大きく回す。他の子たちは順番に回転ロープに入り、演技をして出る。遊び歌により様々なバリエーションがある。ロープに引っかかり跳べないときは持ち手と交代する。また、大勢が入り連続跳びの記録作りもする。

少人数の縄跳びとして、1人がロープを二つ折りにして端を持ち、しゃがんでゆっくりと水平に回転させる。ほかの子供はロープの範囲内に居てロープが回って来たときにその場で飛び越える。ロープに引っかかると持ち手となる。

縄跳びロープを使う男の子の遊びで、固定位置でロープの両端を夫々が利き手で持ち、互いにロープを張ったり緩めたりして相手のバランスを崩させる。平均台の上でするとスリルも味わえる。

 

野の遊び

野原でも道端でも子供達は遊びに事欠くことは無い。

「草笛」 木の葉や草の葉を唇に当て、人差し指と中指で押さえて吹くと音が出る。慣れると唱歌も奏でることができ、皆で合奏するのはとても楽しいことだ。

「花輪」 白クロバーの花を摘んで、花を茎で絡ませて編む、赤クロバーの花も交えて長くして、輪にする。短い輪は花の冠に、長い輪は首飾りとなり、幼い女子の一時のおしゃれ心を満足させる。タンポポの花も飾りになった。

「たんぽぽの汁」薬効があるのか単なるマジナイなのか、脛にタンポポの花の汁を塗ると早く走ることができる。と、思われ塗っていた。

「草笛」タンポポの茎の一方の端をつぶし、切れ目を開けて吹くと、大きな音が出る。笹の軟らかい葉を一度開き、戻して大きな息で吹くと柔らかな音がした。

「草きり」 イネ科の様な草を摘み、太く束ね、双方の束を絡み綱引きをした。

「ペンペン草」 この草は白い花が咲き終わると三角形の種をつける。この種を下に引っ張ると、種が長い繊維の先にぶら下がる。沢山下ろし、手でよじり回転させる。また、三角の種をバチに見立てて三味線弾きを真似た。

「笹」 水の流れが近くにあれば、笹の葉で笹舟を作り、流れに浮かべて競争させた。

「イタドリ」スッカンコとも呼んでいた、背丈、葉、茎も大型の草で、若芽のところは酸っぱい味がした。葉柄をつけて茎を短く切るとパイプの形になり、口にくわえてタバコをふかす真似をした。

「ゴボウの実」道端や荒地によくゴボウがある。球形の花の先に紫の細い花びらが見える、球形部には鉤のある棘で覆われている。実ったものを引きちぎり、遊び相手にぶつけると服の生地に確りとくっ付き、容易にひっ放せない。ぶつけあいが遊びとなる。

「コケコッコ花」 夏に道端でも良く見かけるタチアオイを子供達はコケッコッコ花と呼んでいた。花びらの基部を開き、鼻に挟みつけるとトサカをつけた鶏になった気分になれた。花の汁はままごと遊びの色水になった。

「ヤニとり」桜の幹から樹脂を取り、親指と人指し指に塗り唾液で溶かしながら開いたり閉じたりすると綿状にヤニが飛ぶ、これを反対の手の小指に掛け続けると繭の如くになる。女の子の遊び。

 

花いちもんめ

女の子の歌にあわせた集団遊び。同数の2集団が列になって向き合い、歌いながら進み出て相手方の子をスカウト交渉をし、双方の目当ての子が決まったときにじゃんけんで決する。最後に多くの人数を得たほうが勝つ。歌「はな はな いちもんめ」

私には3歳上に姉がいて、小さな頃は姉の遊び仲間に入れてもらっていたので割合女の子の遊びの記憶がある。

 

鞠つき

手のひらより少し大きめのゴム製の鞠を使って、2~3人で歌を唄いながら演技する。演技の途中でミスをすると交代する。手毬は誰もが持っている訳でなく、いわば子供の宝物に属する大事なものだった。

手毬歌により鞠の突きく型が変わる。片足あげて鞠をくぐらす、篭球選手がするような股の前後に鞠を移動させる、突いている間に一回転する、スカートの後ろで鞠をかくすなど、様々な演技をする。鞠つき歌も演技も自然に覚える。家の前の空き地、校庭、屋体とどこででも遊ぶことが出来た。

鞠つき歌の内容は意味不明のものや、誤って伝承されたと思われるものもある。

鞠つき歌の例 (歌詞は「子供の歌」に掲載しています)

「いちりっとりゃん ながれぼし」 「あんたがた どこさ ひごさ」

「いちもんめの いすけさん 」 「いちれつだんぱん はれつして にちろせんそうはじまった」

「あおばしげれる さくらいの」

 

石蹴り

昔の子供は遊ぶ場所を選ばず、その場に適した遊びを見つけるのが旨かった。家の付近の道路は良い遊び場であった。

路面に書き石か棒などで2m×4mほどの矩形を画く。二組に分かれ短辺が互いに陣地となり、自分の陣地はスタート地点、相手の陣地がゴール地点となる。自分用の饅頭ほどの平らな石を陣地に並べておく。先ず一人が相手陣地に向かって石を地面に手で抛るが最初は片足一歩で届くほどの距離とし、そこから石を蹴り、その石を手で相手の石に狙いをつけて抛る。命中すると次に進む。石に当てる技の難度が高くなっていく。目の高さから落として当てる、足の甲に乗せて運ぶ、膝の後ろに挟むなど。失敗すると相手側の攻めに変わる。

 

うずまき

路面に幅40cmほどで四重程度の渦巻きを描き、梯子状に線を入れる。プレーヤーは外側と内側に分かれ、先攻を決め、石を蹴りながら升目に入れ、旨く入った桝をつなげることができる。途中で失敗すると、後攻が反対側から枡とりをする。枡が無くなったら、境を境界線とする。外側と内側の出発点に戻り、用意ドンで渦巻きを駆け走り、両者が出会った箇所に境界線が移動する。長く領地を取った方が勝ちとなる。

 

絵かき歌

子供たちの間で、何時とはなしに覚える遊びに、絵かき歌がある。通路の地面にしゃがんで、歌いながら絵を描くので直ぐ覚えてしまう。

例えば次のようなもの。「への への もへじ」、「つる べのしるし」、「つる三八はまるまるムシ」とか「○子さんが 乙とって △角定規が・・」、「・・あっというまに蛸入道」、「棒が一本あったとサ」などがあった。「雨がざーザー降ってきて」とか「たてたてよこよこ○描いてちょん」と歌ってる間に絵が描きあがる。おもに女の子の遊び。(歌詞は「うた」の部にあり)

悪ガキは○に│中心に・周りに放射線を描くこともあった。(このマーク、当時の人は皆ご存知だ)

絵かき歌とは少し違うが、「一九ノ メメヨヨ かんむり 子 木六 バッテン 行ってるか」と男の子に問う。問われても??何のことは分からないまま「いってる」と答えると「へー お前 女學校に行ってんの」と囃したてる。

 

鬼ごっこ

冬の運動場は1000人以上の児童で賑わう。大勢で遊ぶと面白さも活発な遊びが好かれ、暖房が無くても暖かくなった。

「つなぎ鬼」は初め一人の鬼が、賑わいの中に潜んでいる子を探し捕らえる、捕らえられた子は鬼にされ、手を繫ぎ捕り手に変わる。鬼が4人になれば、2人ずつに分裂する。鬼の数が多くなるので逃げるのも大変だ。

「助け鬼」も人気だった。鬼を2人決め、鬼は散らばっている子を捕まえに走り回る、捕まった子は陣に繫がれる。次に捕まった子は先に捉えられた子と手を繫ぎ、助けを待つ。鬼は攻撃と防御を使い分け、助けに来てタッチされないよう注意する。捕らえられた方も連を前後左右に動かし、鬼を惑わすなど互いの駆け引きも面白い遊びだった。

その他、もう少し低学年の頃の「鬼ごっこ」に類するものとして、「しゃがみ鬼」、「影踏み」、「目隠し鬼」があった。特に単純な「鬼ごっこ」は「ぼいじゃっこ」と言っていた。

 

学校ごっこ

学齢前の子供の遊びには、いろいろなゴッコ遊びがある。

家の周りだけでも結構な人数の子供がいるので、年下の子を集め、年上の子が得意げに先生役をする。学校の授業らしく、挨拶に始まり、アイウエオの読み書き・図画・唱歌まで、その日により異なる。その頃の幼児は幼稚園に行くのは、極くまれなことであるので、学校ゴッコは入学への憧れを一層描きたてる体験ともいえる遊びであった。

 

言葉の遊び

「しりとり」 誰もが幼い頃から始める言葉のゲーム。「ん」がつく言葉を使うと負け。少ない言葉を何度も使い、窮地に押し込むなど次第に考えるようになる。

「伝言ゲーム」 集団のゲーム、二組に分かれて競い合うこともある。隣り合って座り、最初の子に伝言の元になる文を見せられる、黙読して覚え、隣の子に覚えた内容を耳打ちする、受けた子はまたその隣の子へ、と、順次伝言でつないで行く。最後に受けた子が伝言の内容を発表する。伝言が次第に元と離れた内容になる、その落差を楽しむ遊び。

「誰が何した」(名前は忘れた)5・6人で遊ぶ。参加者に短冊形の紙片を渡し、誰が、誰と、何時、何処で、ドンナ方法で、何をした この文を節ごとに紙片に分けて書く。夫々が書いた紙片を節ごとに帽子に入れ混ぜる。そして、誰が から始まって順次読み上げる。節の組み合わせにより思いがけない文章が出来上がり、爆笑となる。

「漢字探し」 中学生の頃通学の汽車の中でよく遊んだ。シンニュウの付く漢字、コザトヘンの付く字など漢字の部首をお題にして、次の駅に着くまでに何字書き出せるかを競った。

 

三角取り

2人遊び。紙を広げ、鉛筆で沢山の点をつける。交互に点を結び、出来た三角に名前の頭文字をつけて行く。相手の三角の線を利用すると早く三角が増える、逆に利用されないように進めるのが作戦だ。三角の出来る点が無くなった時、取った三角の数で勝敗が決まる。

 

自転車

どの子供も早く自転車に乗れるようになりたいと思っていた。

幼児の頃は近所に新しい三輪車を持っている子は居なかった。古い三輪車のある家の子に機嫌をとりながら乗せてもらったりした。

国民学校の頃も子供用の自転車を持っているのは、裕福な家の子が持っている程度であり、一般には憧れの乗り物だった。

従って友達と自転車に乗って一緒に遠くへ出かけたことは無かった。

大人用の自転車がわが家に一台あった。サドルに乗ると足が届かない。そこで車体を傾斜ぎみにして三角乗りをする。初心者にとっては大変な技である。それでも、交代で町内を一周するのは楽しかった。

背丈も伸び、漸く片方の足を伸ばせばペダルに足が届き、自転車の正常な乗り方が出来るようになった。

 

シャボン玉

小学校入学前後のころは、シャボン玉に興じたこともあった。その頃は、シャボン玉液は自分で作った。粉石鹸とか石鹸を削るなどするが、是だけではいい玉はできないので、色々混ぜものを工夫をする。何を入れたか忘れたが、松脂を入れたことだけは覚えている。粘性が弱く、玉作りはいつもできるものではなかった。遊び方も単にストローで吹くだけで、今のように超大型や無数の小玉を吹き出す様なことは出来なかった。

 

じゃんけん

鬼を決めたり順番を決めてから始まる遊びではじゃんけんで決するのが最も手っ取り早い。

「じゃんけんしょん あいこでしょん」が一般的だが、年齢・性別・住宅地環境などいろいろの掛け声があった。

「じゃらけっつ ほい」「けっ けつ け」「よ~い よい よい!」などだが、他に「じゃんけん ほか ほか ほっかいどー あいこで アメリカ ヨーロッパ パリ フランス ドイツ つりあがっためだま まさかりかついだきんたろお おうまにのった へいたいさん」北海道の言葉が入るのが嬉しかった。

多数の遊び仲間の中から鬼を決めるときは「パー(グー・チー)無し じゃんけんしょん」。

大事なじゃんけんの際、手の甲を摘み次の出す手を占う女の子もよく居た。

じゃんけんだけの遊びもあった。鬼になった者が横に並んだ他の者とじゃんけんをして負けると交代するが勝ち進み最後の大将の前ではお辞儀をしてから勝負する。チョキも人差し指と中指で表示するものと、人差し指と親指で表示する方法があるが、男の子は殆どが後のほうだった。

「ちょっと(チョキ) ぱらさん(パー) ぐすべり(ぐー) かみに(パー) つつんで(グー) ちょうだい(チョキ) なー(パー)」と言って手を差し出す。主として女の子の遊びで、向かい合いながら手で表現する。足で表現する時は、チョキは足を前後に、パーは左右に開き、グーは足を揃える。始めはゆっくり次第に早くなり失敗するとアウト。

戦時中のじゃんけん遊びで、グーを軍艦、チョキを沈没そしてパーをハワイと言い、じゃんけんの三度目で勝負する、相手が同じ表示をすればこちらの勝ち、違う表示なら相手の勝ち、主導権が移る。「軍艦/沈没/ハワイ」「沈没/ハワイ/軍艦」と声を出す。

じゃんけんと同じ方式で絵札を使い勝負する遊びもあった。強弱は巡洋艦>駆逐艦>水雷>巡洋艦で絵札は三種。「どんどこどんの どん」と大きな掛け声で絵札を出し合い勝負する。

 

ドッジボール

国民学校4・5年生の頃、体操の時間で「今日はドッジボールをする」と先生が言うと皆が歓声をあげた。

体育用具の備えも貧弱に時代だったので、ボールはサッカーにも使う硬いものだ。一組の全員60人が等分され、一度に全員が競技に参加する。コートは地面に棒で線を描く(10かける20m程度を二分する)。初め線の外に夫々3人配置し、その他は全員夫々の陣内に入る。ジャンケンで球の権利を決め、相手陣内の子を狙って攻撃をする。攻撃された方は避けるか受止める。受止められれば攻撃権が代わる。当たればアウト、敵の陣外に出て攻撃者となる。先に陣内が無人になった方が負けとなる。運動と言うより遊び感覚の濃いものだ。現在の小学校でもしているのだろうか。

 

輪回し

昔は木桶や樽は何年も使い、一部が朽ちると部分を入れ替え、新たなタガをはめ込む。

古くなったタガは子供の遊び道具になった。先を折ってタガ受けをつけた柄を作り、タガを回転させバランスを取りながら路地を走り回る。1人よりも2・3人で遊ぶのがより楽しめる。