あの頃の街かど 遠くなる思い出。


ニシン 初ニシンは道民に春の期待を持たせる。どの家も一斉にニシンを焼くので街中まで匂いが漂った。

積雪期小樽手宮の道路 除雪は各戸でする時代。雪退けの出来ない住宅通路は踏み固めるため、階段が出来道幅が狭まる。家の中を通って汲み取りするのを見たことがある。

練習場 アルバイト先の若手社員が昼休みに近くの創成川東道路でオート三輪の運転練習をしていた。道路は砂利道で通行量は少なかった。自主練習だけで免許を取った。



冬支度 家庭の燃料は薪か石炭だった。秋になると薪や石炭を配達する馬車を街中でよく見かけた。

大道芸人 旭川師団通りの百貨店辺りには、時々津軽民謡の旅芸人が来る。夫婦とも目の障害者で娘が道連れをする。

下足 小樽の手宮館は活動写真館。入り口で下足を預け、畳敷きなので座布団を借りるか持参する。

初観戦 札幌の中心部に駐屯の進駐軍GIが大通公園で野球のような球技をしていた。それが初めて見たソフトボールだった。

樽運河 子供の頃の運河は貨物船と倉庫への物流の役目だけのもの。観光とは無縁だった。



米軍の教会 大通公園3丁目「乙女の像」の場所には進駐軍の教会あった。ライラック咲く春バージョン。

初荷 正月二日には街中を初荷の馬橇がガンガン空缶を叩きながら景気よく回っていた。

白い教会 戦後すぐ3丁目に米軍専用の教会が建てられた。夜は映画館になった。新作米画のポスターは人目を引いた。

下駄の歯入れ 車屋台の下駄の歯入れ屋が住宅街に回ってきた。暇な時には子供にミニ下駄作ってくれた。

ダンス 進駐軍が米国文化のPRとして、大通公園でスクウェアダンスを公開していた。見物人で賑わった。



出張もち屋  年の暮れには各家庭で餅をつく。餅屋に頼むか出前の賃餅屋に来てもらう家もあった。

出征見送り 日の丸の旗を振り、軍歌を歌った行列は駅前で万歳の声で送り出した。

バクダン ポン菓子のことをッバクダンと言って、住宅街の道路で唐黍や大豆を加工してもらった。

金魚売り 売り声に子供たちが集まる。金魚も欲しいが海ホウズキが人気だった。

紙芝居 カチカチ拍子木、声色の連続劇画を飴をしゃぶりながら引きこまれていった。



木炭バス 車後部に木炭やマキを燃やす釜があり、送風機で火力を強める。煙突から白煙を出して走る。

畳屋 畳の表替え、裏替えしは注文主の家の前で仕事をする。見事な手さばきで仕上げる職人技は見飽きない。

靴磨き 戦後駅前通りに靴磨きが大勢いた。進駐軍の兵隊は靴もピカピカ。格好良く見えた。

七夕祭り 暗くなると提灯を持って子供が集まり、家々を回る。脅迫めいた歌でお菓子を貰う楽しい夜だ。

虚無僧 僧衣に天蓋の姿は子供にとって物珍しさと不気味の対象だ。今は見る機会も無くなった。